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なんの根拠も無かったが、絶大なる自信を持っていたあの頃は空も飛べそうだった

よもやまばなし
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昨日、バンドの頃の写真を掲載したからか?価値観の話しをしたからか?昨日のエントリー「やりたい事、価値観、好きな事、自分の根底に流れているもの」にアクセスが思ったより集まった。ほぉ〜。これがバンドの頃の写真が原因だったのかどうか?検証してみたくなったので、調子に乗ってバンドの頃の写真を使ったネタを書く事にした。

 

浅草サンバカーニバル写真

 

 

この写真、第8回浅草サンバカーニバルに参加した時に撮影された。このサンバカーニバル、何と今年は第32回目となる。第8回は1988年。25年前。秋田22歳である。若っ!

飛んでるのが秋田。裸の男がまさし(スタッフ)。その後ろにいるのがファンの娘。その後ろに審査員として水野晴郎氏などがいる。

 

この頃それなりにお客さんを集めていたので、原宿の歩行者天国や、新宿あたりのライブハウスでバンド活動をしていた。しかし、当然生活費を稼げる程ではなく、秋田は生活費を稼ぐ為に浅草辺りでトラックの運転手をしていた。町にあるサンバカーニバルのポスターが気になり、バンドメンバー、バンドスタッフ、バンドのファンとサンバーチームを結成し、サンバカーニバルに参加する事になった。

 

いつもはパンクまがいの曲をやっていたので、サンバのリズムはどうも馴染めない。スタッフの娘がいい感じでサンバダンスを踊れるようになる。その娘は、合同練習に行く度に他のチームからの引き抜きにあうが、パンクなノリの我がチームにから離れる事なく、サンバステップを教えてくれた。

 

秋田とまさし以外は、かなり真面目にサンバステップを勉強したのだが、二人は全然練習せずに当日を迎えた。「俺程の男ならサンバなんて練習しなくても簡単に出来るでしょ」なんて過信していた。

 

我々のチームは初参加なのと、他チームに比べ人数が少ないので、カーニバルでは先頭をやらされた。「俺たち前座かよ」なんて舌打ちしていた。皆はしっかりサンバダンスをしながら浅草を練り歩くが、秋田は案の定踊れないのでピョンピョン跳ねるだけ。まさしはほぼ全裸で「ヴゴォ〜ヴゴォ〜ヴゴォ〜」と叫びながらウロウロするだけ。二人のせいで、てんでダメなチームになってしまった。

 

街の練り歩きが終わり、浅草公会堂に全てのチームが集結。各チーム選抜隊にて、審査員への最後のアピールをステージ上で行う。その時に撮ったのが上の写真。何故この二人が選抜になったのか?記憶は定かではないが「どうせダメなら暴れてこい」って他メンバーからの指示だったんだろうと思う。こんな状態でも心の中では「優勝してしまうのではないか?」「賞金はどうやって使おうか?」なんて・・・今思えばダメな根拠はいくらでもあるのだが、絶大なる自信に満ちあふれ、あれこれ考えていた。

 

結果はもちろん箸にも棒にもかからずに惨敗。審査委員の理解が足りないんだ。って本気で思ってました(笑)。

あの頃はもっと高くジャンプし、そのうち空も飛べるんじゃないか?って。

今は地に足を付け、大きく成長する事を夢見てますが、たまにジャンプもしてみなきゃ。

サンバカーニバル。青春してたなぁ〜。

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