10月19日。幕張メッセに「KISS」のコンサートを見に行って来ました。秋田の世代にはたまらない超スーパースター。メッチャ楽しんできたのは言うまでもありません。その KISS を見て学んだ事をつらつらと書かせてもらいます。
KISS との出会い
1977年。KISS 初来日。
秋田、小学生〜中学生
当時中学生だった秋田の姉は KISS の武道館コンサートに行った。
「ドラムがどんどん上に登っていって空中でドラムを叩くんだよ!」「ベースが火を噴いたり血を噴いたりするんだよ!」「ポールがギターを壊すんだよ!」
姉から「地獄の軍団 KISS」の話しを聞く度に、レコードジャケットを見る度に、曲を聞く度に、秋田の中で KISS への想いが強くなる。
当時、姉がかぶれていたのが「KISS」と「キャロル」。秋田も当然のようにかぶれた。小学校の時の掃除の時間、ほうきを持って「デトロイトロックシティ」と「ファンキーモンキーベイビー」を演奏しまくっていた。
中学3年生の正月、お年玉を握りしめ池袋のイケベ楽器に走った。
「エースフレーリー」の持つギーターと同じ形の「グレコのレスポール」手に入れた。エースの持つ楽器なのに名前にポールって名前に違和感を感じたが、エースと同じ形のギターを手に入れた興奮の方が大きかった。
秋田、中学生〜高校生
中学生〜高校生の頃、RCサクセションを知る。(これも姉の影響)忌野清志郎にどっぷりハマっていくのだが、KISSに対する熱は変わらない。「ポール・スタンレー」の持つギター「ミラージュ」が欲しくてたまらない時期があったが、当時の秋田にとっては高価な物だったので、結局買う事は出来なかった。
その後も KISS は秋田にとっては1つのバイブルであった。ウォークマンを始めとする歴代のヘッドフォンステレオ、歴代のiPod 、歴代のiPhone 。いつも懐には KISS がいた。
秋田、バンドマン〜経営者
昔から外タレのチケットは高価で、貧乏バンドマンだった秋田には到底 KISS のコンサートチケットを買える訳もなく、一度も KISS のコンサートを見に行く事が出来なかった。
音楽から離れて IT 会社の経営をするようになり、経営者の世界的組織に属していた頃、ラスベガスでその組織の大きなイベントがあった。世界中の経営者が2000人程集まり勉強会を行う。そのイベントに参加する予定でいたのだが、諸事情あり出発の1週間くらい前に泣く泣くキャンセル。イベントに行けなかったのも残念だったのだが、何と!そのイベントのメインパーティーに KISS が来て数曲演奏したのだと・・・。KISS好きの経営者はステージかぶりつき、握手したり、サインもらったり・・・秋田は KISS を見る人生最大のチャンスを逃してしまった。だって・・・KISSと友達になれたかもしれなかったくらいの親密度の高いパーティーだったらしい。
KISS のメンバーもそう若くはない。もしかしてもう二度と見る事が出来ないのかも・・・と半ば諦めていた。
今回の KISS の来日は7年振り。チケットを買おうかなぁ〜と思っていたのだが、忙しくてしいたので気がついたら完売。あぁ〜。今回もダメだ。と思っていた所、昔のバンド時代の友達が「KISS のチケットが少し余っていから、だれか買わない?」とfacebook のウォールに流ながした。これは買わない訳にいかない。スグに連絡をとってチケットを譲ってもらった。
当日会場に入り席に付いて見ると、ど真ん中の前から6番目。かぶりつきで KISS を見る事が出来た。小学生時代から憧れていた KISS が目の前で演奏している。メッチャクチャ楽しい時間を過ごす事が出来た。
全く変わらない KISS
演奏が始まるとステージに組み上げられた蜘蛛のオブジェに乗った KISS が現れる。おぉ〜〜〜〜すげぇ〜〜〜!
蜘蛛のオブジェはだんだんおりて来て、オブジェの上からポール、ジーン、エース?がステージに降り立つ。後ろではピータ?がバッチンバッチンドラムを叩く。うぁ〜!かっけぇ〜〜〜〜!
興奮満点最高潮。ジーンがいつの間にか「たいまつ」を持っている。おぉ〜火を噴くのかジーン。噴くのかぁ〜!噴くのかぁ〜!「ブォ〜〜〜〜ッ」吹いたぁ〜!すげぇ〜!火吹いたぁ〜!超興奮。
しばらくすると、またもジーンが斧をモチーフにしたベースを弾き始める。ベースソロである。オーバードライブがギンギンにかかったベースをベンベンベンベン弾き始める。ステージと会場の緊張感が最高潮に達したとき、ジーンの口から血が流れ出る。ジーンの「ドヤ顔」会場代興奮の最高潮!
その後ジーンやポールが空を飛んだりステージがせりあがり空中演奏を繰り広げる。ついに最後の曲。ポールがギーターを変えた。おぉ?そのギターは壊す用のギターか?それ、壊すのかぁ?壊すのかぁ?「ロックロールオールナイト」が始まる。メッチャカッコいい!。 KISS も会場もオレも大興奮!おぉ〜〜〜〜!
エンディングを迎え、ポールがギーターを回し叩き付けようとする。火が噴く!熱い。叩き付けようとする仕草と火噴きを何度か繰り返し最後に叩き付けた。ギターがまっぷたつになった。おぉ〜やっぱり壊したよぉ〜すげぇ〜すげぇ〜!かっけぇ〜!
アンコールに入る。秋田も興奮して上半身ハダカ。アンコールは3曲。ボルテージ上がりっ放しで演奏が終った。36年間待ち続けた KISS のコンサートが終わった。
完全なる顧客目線
経営者として顧客目線に戻って考えると、1977年に姉が日本武道館で見た KISS と 今、秋田が見た KISS。何も変わっていないのではないか?もちろんそれなりに年齢を重ねてはいるが、歳を感じさせないパフォーマンスを見せてくれた。ギターとドラムは当時とは違うメンバーではあるが、スタイルは同じ。
メインボーカルの「ポール・スタンレー」は1952年生まれの61歳。ベースの「ジーン・シモンズ」は1949年生まれの64歳。
1973年に結成さしてから40年間経過した今、お客さんが求めている自分たちの姿をしっかり把握出来、何時見ても変わらない KISS を演じている。
一度メイクを落としていた時期があったようだが、不評だったようでまたメイクをするようになった。こういったチャレンジを繰り返した末、以前のスタイル(今のスタイル)がお客さんにとって一番良い(気持ちいい)スタイルだって事が解ったのだと思う。
お客様が自分たちに何を求めているか?自分たちの定番は何か?を理解出来た典型的な1つの例だ。見習う所が沢山ある。
コンサートのあり方が変わった
今回ビックリしたのが、荷物検査が無かった事。この所コンサートなんて行く機会がなかったので、実はあたりまえの事なのかも知れないが、以前は荷物検査があり、カメラやレコーダを預けなければならなかった。しかし、今回荷物検査はなかった。
どちらかと言うと写真撮って下さい。動画とって下さい。ソーシャルにアップして宣伝して下さい。みたいなノリを感じた。写真を撮っても動画をとっても怒られない。
秋田は IT 系の仕事を始めてから「デジタルになる芸術に価値は無くなる」と思っていた。すでにもの凄い勢いで、デジタルなる芸術には価値が無くなって来ている。特に音楽は顕著。対価を求める価値が見いだせるのは、ライブとグッズしかない。肖像権や著作権等の権利は存在するが、現実はそうではない。権利を主張して自分の作品をがんじがらめにしていたら、世の中からおいてきぼりになってあっという間に消えてしまう。
そうならないよう、写真撮って下さい。動画撮って下さい。友達に見せて下さい。世界中に公開して下さい。こんなに楽しい僕らのライブを見に来て下さい。とIT の力を使って自分たちをどんどん広めていく必要がある。ちょっと前に流行したフリー戦略がこれにあたるのかな。
どんな大きな企業だって、古いやり方をしていたらスグにダメになってしまう。自分たちの信念を曲げる必要はないが、手法は時代に沿って変えていかなければ生き残る事は出来ない。
大好きな「ブルース・リー」の語録ではあるが「水の如くあれ:水は柔軟でありながら 硬い岩をも砕く力を秘めている。」である。どんな時でも柔軟になれる心が必要。
KISS は「水の如くあれ」と同じ精神で自分たちの作品をオープンにしたのだと思う。40年間続いている KISS。ショーマンだけではなく、マーケッターとして常に変化をしながら、きっちりと顧客の心を鷲掴みにするセンスがあると感じた。
まとめ
つらつらと勝手な事ばかり書きましたが、
・お客様の求めている物を知る
・お客様の求めている物を提供する
・常に時代に対して変化出来る柔軟さをもつ
をKISS に学ばせてもらいました。
KISS に感謝。
コメント