海の日は次女の誕生日。あれ?ハッピーマンデーになったので、7月20日じゃなくなったんだ・・・残念。
次女よ。誕生日おめでとう!
すっかり海の日だと思っていた7月20日。鳥取県の皆生温泉で行われた34回全国トライアスロン皆生大会に参加して来ました。
スイム:3km
バイク:145km
ラン:42.195km
ロングディスタンスの大会。なんとかがんばって完走して来ました。
この辺りの事は、また書けたら書くとして・・・今日は「永江一石氏のブログMore Access! More Fun!」のエントリー「新聞が終わる前に音楽業界が先に終わりそうな件」に触発されたので、秋田なりにそれっぽい事を書いてみる事にした。
デジタルになる芸術の価値はなくなる
まず「デジタルになる芸術の価値はなくなる」と思っている。何時頃だろうか?1995年からパソコンを本格的にいじり始め、商売の道具に使うようになり、フラットベッドのスキャナーを買ったりして色々な物をスキャンしてホームページの素材に使ったり、デジタルカメラを使って撮影した物を使ったり・・・そんな事が日常になった頃からそんな事を考えるようになった。
最近ではスキャナーも使わない。スキャンしたい物はデジタルカメラで・・・あれ?デジタルカメラじゃなくて iPhone だ。iPhone で撮影してそのまま素材として使う。
デジタルに変換出来て記録し、配布出来ちゃう芸術は流通での価値が無くなってしまう。
写真、絵画、動画、音楽・・・色々とあると思うけど、殆どの人はどれをみても、どれを聞いてもどうせ iPhone やスマホ、タブレットを使う訳で、それなりのレベルの物で十分なのである。
DVDがブルーレイになり、より高密度な画像を記録して販売する事になったが、どうだろう?ブルーレイって必要だったのか?秋田なんかいまだに VHS でも良いと思ってるくらいだ。
並べてみれは流石に奇麗だが、何万も出して機器を購入し、これまで買い集めて来た DVD をプルーレイに買い替えようとは思わない。
ぶっちゃけデジタルになる芸術に関しては、生の物にしか価値がない。映画も映画館ならではの迫力、絵画も紙や絵の具の質感や凹凸具合、音楽や演劇等は動画とは視界が違うし迫力も全然違う。
もう、デジタルにした複製物を流通させて利益を上げる時代ではなくなった。
デジタルにした芸術は、無料もしくは無料に近い価値で配布し、圧倒的に価値の高い生を見に来てもらう為のプロモーションツールとして使うべきであり、過去の流通にしがみついてはいけない。
この辺り、日本の映画や音楽シーンはとても遅れているので、固い頭を入れ替えないとじり貧になって行き、新しく出て来た所にマーケットを奪われてしまう。
そもそもミュージシャンにはパトロンが必要だった
そうなんです。そもそもミュージシャンも絵描きもパトロンがいて、パトロンの為に音楽を奏でたり、絵を描いていたりしたんです。
バッハだってモーツアルトだって、昔の偉大な芸術家はみんなパトロンがいた。パトロンに飯を食わせてもらっていたんです。
それがなんと、エジソンが蓄音機なる物を発明。音を複製して配布出来るようになった。絵画に関しても印刷技術が向上して紙を複製し配布出来るようになった。
そうなると、これまでパトロンの出来る金持ちだけの芸術だった物が、広く一般に浸透した。大勢の人達が複製された芸術を買い求める物だから、芸術家がお金持ちになり、力を持つようになった。
お金を持ったもんだから、レコード会社を作ったり政治家になったり・・・
しかしそれも新しい産業革命である「インターネット」の波には勝てない。複製した物が売れた時代が終わりを告げようとしてる。
ここに来てまた、パトロンが必要な時代になり始めたのか?クラウドファウンディング等を介し、個人と個人が結びつき新たな芸術の流通が始まるのか?
いずれにせよ、今の芸術家は新しい流通の風を帆に受け、その風に乗らねばならない難しい時代にいる事は間違いない。
まとめ
音楽に絞ってまとめてみると・・・
活動のメインであるライブ活動は、必ず行う必要がある。ここで資金を集めたり、プロモーションのコストを回収する。
プロモーションとしては、路上ライブ、路上ライブやライブを録画した物をYouTube で動画配信、iPhone のガレージバンド等で録音した物を、iTunes 等で配信。
いつもより多くお金を集めたい時は、クラウドファウンディングで集める。
複製物を配布して利益を出していた音楽業界は、シュリンクされて行くが、個人と個人の繫がりを使って流通する芸術は新しい広がりとなる。
どうやら・・・めちゃくちゃ面白い時代にいるようだ。
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